自然は巡る

幼少期のころ

この世界の巡りに気づいたのは5歳のころだったと思います。

ある早春のひだまりの中で父親が盆栽を植え替えている傍で砂遊びをしていた時、私は空を見上げて雲を眺めていると、「巡っている・・・」というように思えてきたのです。

根拠は何も無かったのですが、生命の不思議さをいつも考えていた私は父親に「ねぇ、人は死ぬとあのお空の向こうにいくの?」と尋ねてみたのです。

すると、父親は「そんな小さな子供が自殺を考えてどうする‼」と大きな声で叱ったので、そのあとは何も言えなくなって黙ってしまいました。

自殺?? 自殺って何だろう?? よく解らないまま月日は過ぎていきましたが、時折そのことを思い出しては、

「大人って子供の言うことがどうして解からないのだろう? 大人はみんな賢くて、神様みたいに何でも知っているはずなのに・・・。 私は大きくなって子供に訊かれた時はちゃんと答えられる人になっておこう」と思ったのでした。

私はちょっと変わった子で、女の子だったら塗り絵とかお手玉とかお人形さん遊びとかをするのが一般的だったのですが、私は小学館が発行していた「植物の図鑑」「魚の図鑑」「虫の図鑑」を持って近くの野原に出かけるのが日課でした。

ちなみに、生まれ育ったところは京都の嵯峨野というところで、窓からは左手に愛宕山、右手に比叡山が見え、少し行くと広沢の池や大覚寺があり、遊び場は野原で虫を観察したり、小川の中を覗き込んで水の中に棲んでいるいる魚やその他の生物を観察したり、また小川の土手に咲いている花を観察するのが何よりも好きな女の子でした。

学校から帰ると宿題は後回しにして、脇に図鑑、手には魚をすくう網、虫を捕る網を持って近くの野原に出かけては花や虫、魚や水中生物を観察し、日が暮れるまで自然観察を楽しんで遊んだのです。

一向に帰らない私を探しに来た母親が「そんなに遅くまで一人でうろうろしてたら子取りにさらわれるよ‼」と叱るのでした。

しかし、いくら叱られてもこたえることもなく、毎日を自然の中で過ごしていた私は今から思えば自然児だったと思います。

そんな中で過ごした子供時代が「生命の不思議と循環」に気付かせてくれ、さらに予防医学の大切さへと誘ってくれたのだと思います。

自然も経済も社会も人体も、みーんな循環していることを一人でも多くの方に気付いてもらい、今まで積み重ねてきた経験の中から何かをお伝えできれば嬉しいです。